2024.2.23 Women in Paris Vol.12Akiko Inoue(1/4) フランス語に魅せられたこと、そして西洋のアンティークとの出会いに導かれてパリに住むことになった、「aterier heno」を運営するアーティストの井上亜希子さん。歯切れのよい関西言葉で、ユーモアたっぷりにその経緯と現在の暮らしを語ってくれた。 大阪府の伊丹市生まれ、箕面市育ち。親族は皆進学校を卒業していて、父親も3歳上の兄も銀行員という家族に囲まれ、「私はその中で落ちこぼれ、鬼っ子でした。私だけが大学を中退して、それが家族会議にかけられるっていう(笑)。なので、今私がフランスで暮らしていることや、物作りを生業にしていることに、家族からの影響っていうのはほぼないです」と話す。映画自体が特別好きだったわけでも、フランス映画に傾倒したわけでもないが「たまたまテレビで観た『ミナ』という映画での、ロマーヌ・ボーランジェの喋り方がすごく素敵で。ゴダールとか、ああいうおしゃれ系のものには興味なかったし、ゲンズブールとかもややこしい(笑)。フランス語の音の響きとか、なんてことのない日常的な会話のリズミカルな感じ、あと日本には習慣のないビズしたりするのもいいなと思ったんですよね」。よくよく考えてみれば、大学教授の叔父がソルボンヌ大学に留学していた経験があり、子どもの頃にフランス語の絵本をもらったり、まだ日本ではあまり一般的ではなかったブルーチーズを買ってきてくれたりした記憶があって、フランスに対して“遠い場所”という感覚は持っていなかったという。 母親と兄、井上さんがまだ赤ちゃんの頃のスナップ。 「大学を中退して家族会議になってしまいましたよね。そういうところでは自分を守るために弁がすごく立つんですよ、私(笑)」。滔々と語って親を説き伏せて辞めることに成功はしたが、となれば働かなくてはならない。「大阪の南船場の洒落たところで働きたいなと思って探していたら、雑居ビルの中にある小さい雑貨店で働き口を見つけた、と思ったんですが、結果的にタダ働きすることになってしまったんです」。そこは長くは続かず、パティシエを募集しているカフェを見つけて面接に行くことに。「高校の時のおしゃれな友達がみんな行っているような、南船場で有名な美容室にカフェが併設されていたんです。辻製菓専門学校から来ているような人たちに混じって、売り込みがうまい私に店長が騙されたんでしょうね(笑)、採用されました」。お菓子を作るのは好きで、作ったお菓子を友人にあげたり、レシピの写し書きをノートにまとめたりしていた。その細やかに描かれた絵も趣味の域を超えるほどの腕前で、とにかく細かいことをするのが好き、ティーンエイジャーの時に推していた中山美穂とレオナルド・ディカプリオのスクラップブックは自ら惚れ惚れするほどの出来栄えだったのだとか。「父方の祖母が着物の仕立てで生計を立てていたんですね。その祖母はビジネスセンスもあって、中学生くらいの頃から家業の文房具店を回してたらしく。母方の家は織物工場を持っていたりと、自営業の人が両親以外の親族にはいたので、その影響はもしかすると受けているかもしれません」 現在の井上さんと二人の子どもたち。「あんまり出したくないんですが…、3人でお団子頭が面白いかなと」 パティシエとして働き出した当初は楽しかったけれど、専門的に製菓を学んだこともなく、そのハードな日々は徐々に井上さんを追い込んでいった。昼間はカフェでお客様用のお菓子を作り、週に一回は新作を出すノルマがあって、そのために家に帰ってからも試作をせねばならない。さらに、そのカフェが「レス・イズ・モア」をコンセプトとして掲げていたため、オーガニックな素材を用い、砂糖を極限まで減らしたレシピを考えなければならなかった。「知識がないから、その条件の中で美味しいお菓子を作ることがうまくできなかった上に、若かったこともあって、意地を張って店長にSOSを出すこともできなくて、人間関係もだんだん険悪になってしまったんです」。今思えば、組織の中で周りの空気を読みながら物事を進めていくのが苦手だという、自分の気質にも原因があったのだろうけれど、その時はそれに気づいておらず、ストレスがどんどん溜まっていき、結果的にこのカフェも辞めることになる。 「お菓子の絵だけは上手いんですよ」と話すが、手先の器用さと細やかさが伝わってくるレシピノート。