COLUMN

Women in Paris Vol.10
Kaori Ai(3/4)

アルバイト先で知り合ったマサトさんの友人に電話番号を教えてもらって、半ば強引に「massato」に就職。「インターネットもない時代で、マサトさんがフランスのこの世界での第一人者だということも知らないような状況でした。出会う人によって運命って変わるんだということ、そして自分から動かないと何も変わらないということもその時に学びましたね」。2002年の終わりから1年間のワーキングホリデーの期間中に、誰もが知るヘアアーティストとの繋がりを得て、プライベートでは現在の夫であるフランス人のボーイフレンドと出会う。「ワーキングホリデーが終わって帰国した後、2年ほど遠距離恋愛をした後、結婚することになります。結婚してビザが取れて、パリで共に生活を始めることになったんです」

サロンの近くにあるパッサージュ・ヴィヴィアン。「朝、ここでカフェを一杯飲んでから仕事に向かいます」

パリへ移り住んだ当初は、ヘアスタイリストを続けながら、週に1回語学学校へ通うという生活。「コンコルドにあったお店に勤めていたのですが、ハイソでおしゃれなお客さまが多くて、その当時の私の語学力では全くおぼつきませんでした。私はアジア人で若く見えるし、フランス人の従業員にも舐められてましたね」。苦労を重ねながらも徐々に語学力も付き、移住から4年後、他のサロンへの転職が決まる。その頃、人からの紹介を得てファッションショーの仕事にも携わるようになる。「ヘアアーティストと美容師の違いというのが、この仕事を始めた頃はよく分かっていませんでした。美容学校に通っていた頃、海外の雑誌を見てヘアアーティストのクレジットまで細かくチェックしている友達もたくさんいましたが、私はビジュアルのイメージはインプットしても名前まではチェックできていないような感じでした」と話すが、後にオディール・ジルベールなど、ファッション業界に携わる人なら誰もが知る大物のもとで働くことになるのだから、人生は分からない。

サロンはラボも兼ねていて、いろんなことを試す場所でもある。

「パリのサロンでの経験を積んで、ショーのお仕事にも呼んでもらえるようになったことで、少しずつですが自分に自信もついてきていたので、エージェントに営業に行ってみたり、直接ショーや撮影の仕事も受けるようになりました」。サロンで働きながらだったので、量的にはそこまで多くはなかったが、ディオールのショーでオーランド・ピタと、サンローランではディディエ・マリジとともに手を動かし、撮影の現場ではティルダ・スウィントンやダイアン・クルーガーのヘアを手がけるなど、忙しい日々でありながら、どちらも楽しんでやっていたという。「サロンでの仕事は1ヶ月、2ヶ月持たせるスタイル。かたやショーや撮影は数時間のためのかっこいいもの。近くて遠い、全くコンセプトが違う仕事の仕方です」。ショーとサロンの両立をしながら約14年間働いた後、2020年、ついに自分の店を持つことになる。