COLUMN

Women in Paris Vol.6
Asami Maeda(4/4)

ワーキングホリデーでパリへ渡ってから14年。現在はファッションブランドを運営する日本人の夫と、まもなく2歳になる息子との3人暮らし。朝、保育園に預けて夕方お迎えをし、その間に仕事をこなし、さらには夫と仕事の調整をしつつ泊まりロケに出かけることもあるという多忙な日々を過ごしている。インタビュー当日の朝もキックボードでダッシュで保育園に向かっていたら、途中のカーブで息子を落としてしまい(!)目撃したマダムたちに「こんなところに乗せたら危ないでしょ!」「そんなに急いだらダメ!」と口々に叱られたのだとか。「先日は夫の誕生日を祝って、家族でストックホルムへ行ってきました。豪雪の中をベビーカーで移動するのは大変だったんですけど、逆にそれが日常を忘れさせてくれて、ファンタジーな世界でした」。結婚したのは2019年の9月。結婚式のために夫がウェディングドレスを作ってくれたが、ヘアメイクはいつも通りの自分がいい、と超ナチュラルでいこうとしたら「こういう日こそはさすがに何かやるもんなんじゃないの?」と夫に諭され、見かねた友人が手を差し伸べてくれたのだという。

昨年秋、旅先のストックホルムにて。豪雪!

自身が作った家族はもとより、日本にいる両親、妹とも仲良しの様子。「母とは喧嘩をしたことがないし、妹は私の“スーパー”味方、そして父からは生き方的にすごく影響を受けています」。前田さんの父親は若い頃ヤマハの専属バイクレーサーとなったが怪我をしてその道を断念。その後バイク店を立ち上げるものの、重い喘息を患っていた前田さん姉妹に差し障りがあるということで建築業へ転向。同時に50歳になったら蕎麦屋をやるという目標に向かって、夏と冬の長い休みには蕎麦打ち修行に出ていた。今年62歳になる今、滋賀県の高島市で蕎麦屋を営み始めて11年になるという。「その店は父が自分で建てた丸太小屋なんです。釣りが趣味で、琵琶湖の湖畔にログハウスを建てるという夢も持っていたので、その資格も取っていたんですよね」。そんな父親の姿を見て育った前田さんにとって、自身が会社員となって働く姿は想像できず、フリーランスとして生きていくことへの恐怖心を抱くことも全くなかったという。「いつも父の友人が家に来ていてバーベキューをやったり、友達も家に連れてきなさいって言われていて、常に人がいる家でした。だから私、一人でいる時間があまり必要がないというか、どうしたら常に誰かと一緒に生きられるか、考えていたような気がします」

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ご両親、妹さんと共に。仲良しぶりが伝わってくる。

そんな前田さんは14歳の時から日記を書き続けている。そのきっかけは「何もなかった一日、を作りたくないなって、ある夏休みに思ったんです。何も感じなかった日なんてあるわけはなくて、とにかくそれを形として残したくて書き始めたんですが、いつの間にか日記に書くことを見つけるために毎日出歩くようになった気がします(笑)」。子供が産まれてからも、旅に出かける時以外は毎日書き続けている。基本的には朝の時間に前日のことを、眠れない夜はその時に書くこともあるのだとか。「一番最初に使っていた日記帳はリトルマーメイドのもので、パリへ来る前に書いた日記は全部実家に置かせてもらっています。こちらへ来てからのものも地下のカーブに保管していて、夫に対してモヤモヤした時に(笑)結婚する前に書いた日記を読み返して“自分が好きな人に好きになってもらえるってすごいことやな”と自分に言い聞かせるんです」。ネットニュースで時代の流れを知るよりも、人から直接もらう情報の方が俄然信じられる。料理がすごく得意なわけではないと言いつつも、人を招いてのホームパーティは楽しいし、レストランで人とワイワイ食事をするのも大好き。そんな前田さんは人からもらったエネルギーをポジティブなパワーに変換して、周囲にいるすべての人たちへ元気を分け与え続けている。

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料理が得意じゃないなんて!ご謙遜。