COLUMN

Women in Paris Vol.6
Asami Maeda(1/4)

子どもの頃に見た伝説の(?)TV番組『ファッション通信』をきっかけに、パリコレクションのショーで仕事をすることに憧れ続け、ついにその夢を叶えたヘアアーティストの前田麻美さん。それまでの経緯やパリでの暮らしぶりについて、歯切れのよい関西弁で話してくれた。

「出身地を聞かれる時、絶対に“関西の方ですか?”じゃなくて、“関西の方ですよね”って言われるんです(笑)」と話す前田麻美さんは、京都生まれの兵庫育ち。高校を卒業後、大阪の美容学校に2年通い、東京の美容室へ就職した。小さい頃から髪を触るのが好きだったとか、化粧品に興味がある子だったとか、あるいは周囲に美容関係の仕事をしている大人がいた訳でもない。『ファッション通信』を見て、なぜかファッションデザイナーではなくヘアメイクアーティストになりたい、と思ったのだという。「本当は高校を卒業したらそのままパリへ行きたかったのですが、それは現実的ではなかったし、親にも反対されて。東京へ行くこともあまりよくは思われていなかったのですが、就職先を決めてどうにか許してもらいました」

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現在の住まいのリビングルーム。レコードや本がさりげなく飾られている。

パリコレクションのショーのバックステージでヘアメイクを手がける、とにかくそのことを最終目標としていたものの、具体的にどうすればいいか分からず、まずは東京の美容室に。そこで働くのと並行して週に1日だけ居酒屋で働いていたら、偶然にもそこはスタイリストやヘアメイクなどのファッション関係者がよく来る店で、最初の師匠と呼べる人に出会うことができたのだという。2年間のアシスタント生活の後、独立。「おかげさまで仕事は順調に回り始めたのですが、師匠はファッションではなく音楽関係の仕事をメインにしている人だったので、いただけるお仕事も本来私がやりたかったジャンルとは違ったんです。このまま続けていたらパリに行くタイミングを失ってしまうんじゃないか、と危機感を抱いて、ワーキングホリデー制度に応募しました」。無事に合格し、かくしてついにパリへ渡ることに。

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パリに渡って数日後、ルーブル美術館の前でパチリ。

「その時の所持金がわずか31万円だったんですけど、当時はなぜかすごくお金があると思ってました(笑)。事前に住む場所さえ決めずに行ったので、もちろんあっという間にお金はなくなってしまって、最初の1年はお弁当屋さんと日本食レストランでアルバイトする生活でした。正直、パリの街自体に憧れがあったわけではなかったのですが、マレという街がおしゃれな場所だということだけ誰かに聞いていたので(笑)、マレにある日本食のお店でまずはアルバイトしようと思ったんです」。そんな中、日本にいる時に仕事の合間を見つけて作ったブックと名刺を持って出版社へ営業に行ったり、少しずつ日本人のコミュニティにも知人ができて、そのつてでアシスタントの口も見つかるようになった渡仏3年目のある日、ビッグチャンスが巡ってきた。

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パリへ渡る直前、上京してきてくれた両親と。