COLUMN

Women in Paris Vol.3
Chikako Taura(3/3)

大学生の頃にアルバイトをした渋谷の花屋にはさまざまな要望を持つお客さんがやってきて、それぞれに向けて作ったものに対するリアクションが直に感じられるのが楽しかった。その経験が今でも原点にあるという田浦さん。自分の店をオープンして1年余り、「ありがたいことに」今は思い描いていたような状況ではないという。「お客さんとのコミュニケーションを第一にする、地域密着型のお店にしたいと思っていたのですが、思いのほか、イベントの装花などの大きなお仕事をいただいて。もちろんピエールのところにいたことが信用に繋がっているとも思いますが、こちらの人は作るものがよければいい、というスタンスなのですよね。逆に言うと、日本人らしい謙虚さで“これでどうでしょう?”はだめで、“わたしはこうだけど文句ある?”くらいで行かないと信じてもらえない。まだまだそのフランス式スタンスの見習い中ですが、それができるようになったらこの国で生きるのがもっと楽しくなると思います」

定期的に手がけているロエベのブティック。
イタリアの花市場で見つけたフレッシュな芍薬は香りも最高!ここの人が本当に親切だった

6月にはミラノサローネに出展したロエベから、会期の2週間ほど前に装花の依頼があって、急遽ミラノへ。元々、ロエベのブティックの装花を定期的に手がけていて、その流れでの依頼だったという。ミラノを訪れるのは、日本で最初に就職した会社を辞めた後の旅行以来のことで、花の市場にも行ったことがなかった。暑いということも考慮してドライフラワーを使おうということになり、事前にパリから送っておいてミラノ入り。「現地についてスタッフたちと会ったら、チームリーダーからのやっぱり生花よね、の一言ですべてがひっくり返って(笑)。事前にメールやメッセージで何回もドライだよ、って言ってたんですけどね。でもイタリアの人たちがとても親切で、市場でも助けてもらってなんとかなりました。“わたしを助けて”オーラがすごく出ていたと思うんですけど、そういうハプニングも楽しいです」

数ヶ月前、偶然店の前を通りかかった憧れのジェフ・リーサムが「Amazing!」を連呼してくれて「夢を見ているのかと思った」。

田浦さんがパリへ渡ろうと決めたのは30歳の時。その決断をするには、多くの迷いや逡巡が生じるお年頃でもありそうだが「中学生の時の吹奏楽部もそうだったのですが、一つのことにわーっと集中すると、その後大きな反動が来る性質のようで、勤めた先々でもがむしゃらに仕事をしていると、一回スイッチを切ろう、という時期が自然にやってくる。ワーキングホリデーの制度を知った時がちょうどそういうタイミングだったので、あまり深く考えずに行動できたんだと思います」。下調べをし、事前に知ることは大事だが、あまり考えすぎると足が止まってしまう。自分の店を始める時も、言うなれば自分の気持ちの赴くままに物件との契約を交わし、ここまで突っ走ってきた。「始めてみたら家賃や光熱費、ランニングコストなど、いろいろあって。でも始めちゃったから仕方ないですね(笑)」。店を持ってからも、スタージュ時代にお世話になったフローリストや、顔見知りの大先輩たちが「調子はどう?」「何かあったら言いなさい」「無理をしないようにね!」と温かい言葉をかけてくれる。自らが経営者になってみて、皆がこれまで経験してきたであろう苦労を思うと、涙が出るほどうれしく、感謝の気持ちで胸がいっぱいになるのだとか。

最近作ったブーケ。力強くもエレガントな作風に多くのクライアントが信頼を寄せる。

最後にこれからの展望について聞いてみた。「今は外での仕事のためにお店を閉めがちになっているので、まずはしっかり回せるように信用できるスタッフを見つけたいですね。そして今後については、実は葬儀の事業に興味があります。ウェディングなどのおめでたいイベントのお花にはこだわりがあるのに、亡くなってしまったら、遺言をきちんと残していない限りその人は何も言えなくて、すごく変な花が飾られているのが切ないなと思ったことがあって。ちょっと特別な業界のようなのですが、チャンスがあれば、人生の最後を素敵な花で飾るという仕事をしてみたいです」