COLUMN

Women in Paris Vol.4
Asami Haraguchi(1/3)

「Caline Paris」というブランド名でアクセサリーを作っている原口朝美さん。フランス語で「愛らしい」という意味を持つその名前の通り、古いものとカフェを愛するご自身もキュートなパリジェンヌという風情。だが、「フランスへ渡った当初はコンプレックスの塊だった」と話す原口さんがパリに住み、アクセサリーを作ることになった経緯とは。

 

 

「母がオーダーメイドのお針子さんで、子供の頃には手縫いの服を着せてもらっていたし、本人が若い頃に自分のために作った服もたくさん残っていました。そのスタイルがすごく好きだったから、母の箪笥から着るものを探したり、自分で絵型を描いて縫ってもらったりして、洋服を買ったことはあまりなかったです」。愛媛出身、兄弟は弟二人で、お裁縫が得意な母親の手作りの洋服はほぼ独り占め。小学生の時に習っていたエレクトーンの発表会、そして入学式、卒業式、成人式など人生の節目には、自ら絵型を描き、縫ってもらった服を着ていた。ものづくりを仕事にしたいという気持ちは幼い頃から抱いていて、そこには母親の影響が大いにあるという。

母作の服4(母) - コピー
母親(上)が若い頃自ら作った服を、原口さん(下)が引き継いで。

その後、愛媛県立松山南高校砥部分校のデザイン科に進学した原口さん。絵を描くのが好きで、イラストレーターになりたいと思っていたが「あまりにも自分より絵が上手い人が多すぎて」この学校で家具のデザインなどを学ぶことに。「デザインを考えて製図して、切った木材を組み立てて、ほぼ全工程を一人で作るという体験をしました。椅子とか化粧台とか、結構大きなものを作っていたんですよ。すごくいい学校なのですが、今廃校の危機に瀕しているので、存続させるための署名運動をしているんです」。高校卒業後は広島の専門学校でインテリアコースを選択するも、高校ほど授業も学校生活も楽しめず「魔の2年間と自分では呼んでいます」。それでも親に行かせてもらったという気持ちもあって、がんばって無事卒業。家具の職人かデザイナーになりたかったが、縁に恵まれず、ファッションメーカーに就職し、販売員に。その後、アクセサリーブランド「acca」へ転職、ヘアアレンジと販売を兼任する。「髪の毛を触ることも、人と話をすることも好きなので、もしパリに来ることにならなければ、ずっと続けたいと思うほど好きな仕事でした」と話すように、パリに渡って間もなく、ヘアセットの仕事を始めて、ブランドが軌道に乗りつつある今もその仕事は並行して続けている。

どちらも高校の卒業制作展で作った作品

大阪で販売員の仕事をしていた頃、愛媛へ帰省した際に現在のパートナーに出会ったことが、結果原口さんをパリへ誘うことになる。「彼は当時アメリカに住んでいて、一時帰国中に偶然地元の居酒屋で出会いました。それから2年ほど後、私は仕事を辞めて時間があったタイミングで、ノリでアメリカまで遊びに行ったことをきっかけにお付き合いすることに」。調理科のある高校に通い、フレンチのシェフを目指していた彼に胃袋を掴まれた、と話す原口さん。その後コルドンブルーへ入学するためフランスへ渡り、スタージュをしている彼がまもなく帰国する、というタイミングで、せっかくなら少しの間でも一緒にパリで生活してみよう、と原口さんもワーキングホリデーでパリへ渡ることに。