COLUMN

Women in Paris
vol.3 Chikako Taura(2/3)

ワーキングホリデーで滞在中、最後にいた店の店長に「ここで働き続ければいい」と誘われ、およそ1年後にパリに戻った田浦さん。「会社内のいざこざがあったとかで、知らない人ばかりになっていて、その店長も辞めてしまっていました。まだ言葉もままならないし、わたしの仕事をかってくれていた人がいないなら、ここにいても仕方ないなと、別のお店を探すことにしたんです」。かくして働くことになったのは、日本でも書籍が出版されるほど有名なフローリスト、ジョルジュ・フランソワのところだった。日本人がイメージするところのパリをそのまま体現しているような、ロマンティックなブーケを作る御年80歳の重鎮だ。「ここではまた、それまでとは違うスタイルを学びましたね。2、3年働いた後に辞めて、次にお世話になったのが『ドゥボーリュウ』というお店です」

“ムッシュ”ジョルジュ・フランソワとランジスの花市場にて。
ジェフ・リーサムというスーパースターが手がけていたホテルジョルジュ・サンクは憧れだった。

「ドゥボーリュウ」は、かつてヘッドハンティングの仕事をしていたピエール・バンシュローが開いた店。オープンして間もない頃にメトロのフリーペーパーに掲載されていた記事を見つけて「素敵なお店だ!」と、履歴書を持っていったという。「全然お花屋さんっぽくない人がいて、それがピエールでした。花の仕事をしたことがない人ゆえに、表現の仕方がすごく自由で、概念にとらわれずに作るものがすごく新鮮だったんです。それがモード業界の人にも受けたんでしょうね」。瞬く間にこの店の存在は多くの人に知られるところとなり、右肩どころか縦に真っ直ぐ伸びてゆくかのごとく、急激に人気店となる。「最初の頃はわたしはお店番、ピエールがイベントやブティックなどの装花、その打ち合わせを担当していました。他にスタッフはいなかったので、ファッションウィークの時には二人とも外に出ざるを得なくて、店は閉めることも。徐々にスタッフが増えて店番を任せられるようになって、わたしが市場での花の買い付けをほとんどやるようになっていきました。ルイ・ヴィトンやタカシマヤの仕事で日本へ行ったこともありましたね」

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「ドゥボーリュウ」時代、大阪髙島屋の仕事にて。奥に小さく写っているのがピエールと田浦さん

「ジョルジュ・フランソワみたいに80代で現役の人もいるけれど、花の仕事は体力勝負。そんなに長く続けられるだろうか、それならば自分だけの世界観を表現する場所を一度は持ってみたい」。なんとなく、そんなことを考えながらも、「ドゥボーリュウ」の快進撃は止まらず、とにかく忙しくてそんな思いはかき消されてしまう日々が続いていたところに、コロナ禍がやってきた。「週に1、2日くらいしか仕事をしない状態になったので、急に考える時間ができました。そのタイミングでこの物件(今お店として構えているところ)を見つけて。外に張り紙が出ていて、結構いい条件だったのですぐに電話をして話を進めました。ところがピエールに相談する時間がなかなかなくて、ようやく話せたのは物件の契約を済ませたあと。今いなくなられたら困る、と言われたのですが、もうサインしてしまっているし(笑)、どうにか辞めさせてもらいました」。ピエールの右腕として約6年間「ドゥボーリュウ」で働いた後、昨年5月、ついに自分の店をオープンする。「6年間って、小学生が卒業するまでと考えると結構長いけれど、“ドゥボーリュウ”にいる間、一回も飽きたと思ったことはありませんでした。ピエールはいつも新しいアイデアに満ちていて、インスピレーションを与えてくれる存在でしたから」