COLUMN

Women in Paris
Vol.2 Kaori Konishikawa(3/4)

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ルサージュでの仲良し先生、アニーと。

フランスの夏のバカンスが明けるタイミングがいい、とのアドバイスを受けて、離婚からわずか3ヶ月後の9月にパリへ渡ることにした小西川さん。離婚騒動でくたくただったが、やらなければならないことは山積みだ。「できるだけ面倒なことは避けたかったので、ルサージュへの入学手続きやアパート探しのためにコーディネイターに頼むことにしました」。ルサージュへのコンタクトはフランス語もしくは英語がマスト、その担当者が気まぐれで有名だとも聞いていた。「インターネットで日本語の話せるフランス人のコーディネイターを見つけて、ちょっと怪しいなと思ったんですけど、ルサージュとの仲介もやっているということで一度会ってみたんです。そしたら窓口の気まぐれだという女性とも知り合いだから僕ならスムーズだというし、もうお願いしてしまおうと」。ルサージュとアパートのほか、長期ビジタービザの手続きもやってもらうことができ、無事に9月にパリへ。

 

ルサージュに入学試験はなく、未経験者でも受講することは可能だが、フランス語もしくは英語ができないと授業が理解できないというハードルがある。1回の授業は3時間、例えばプロフェッショナルコースなら全てのプログラムを終わらせるのに150時間が必要で、各々が自身のペースに合わせて週に何回授業を取るかを決められる、といったシステムになっている。日本人でビザを取らずに行っている場合は3ヶ月で全行程を終了させるために午前と午後に1クラスずつ取り、膨大な宿題もこなさなければならないため、かなりハードなスケジュールとなる。小西川さんもできるだけ早く修了したいと思っていたが「宿題の量が多いし、目を酷使して体力も消耗するから、月曜日から金曜日まで授業はあるけれど週5取るのは絶対にやめた方がいい」と、ルサージュのスタッフから言われて週4日のペースで通うことに。「ルサージュでの日々は、人生で一番頑張ったと思えるくらい、だけど好きな事ならこんなに頑張れるんだと、41歳にして初めて味わう感覚でした。刺繍漬けの毎日は本当に幸せでしたね」。朝9時30分から12時30分までの授業を取り、まっすぐ帰宅してさくっとランチを食べた後は夜12時くらいまでひたすら課題の刺繍をやり続ける毎日。先生にかおりは優秀だから大丈夫よ、と言ってもらえたことも本当にうれしかったのだとか。「色味の合わせ方、デザイン力、バランス感覚なんかは、やっぱりここで学ばないと得られないことがたくさんあるなという実感もありました」

 

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ルサージュで作成した小西川さんの作品。上がレベル1、下がレベル8。段階を経て難易度も豪華さも上がってゆく。

パリにいながら、美術館はおろか、散歩すらすることなく、修道女のようにストイックな日々を送っていたある日。なんとなく今日はちょっと寄り道して帰ろう、と思い立ち、当時グランブルバールにあったルサージュから歩いて15分くらいで行けるパレ・ロワイヤルのカフェ・キツネに立ち寄ってみたら、白髪の超おしゃれなアジア人のマダムに目が釘付けに。この人こそ、今やパリのモード界で知らぬ人はいない、このカフェの名物マダムのナミさんである。「興味を持ったらその人のことを知りたくなって積極的に話しかける方なので、“日本の方ですか?”と声をかけたら“そうよ”って。それでお付き合いが始まりました」。その後、パレ・ロワイヤルの中にアクセサリーを置いている小さなお店を発見。ここにもアジア人の女性がいて、話しかけてみたらまたしても日本人だった。「“ブリジットタナカ”をオープンする準備中だった、共同経営者の一人のチエコさんだったんです。わたしがルサージュに通っていることを話したら、今刺繍ができる人をちょうど探していて、よかったらやってもらえないか、って依頼をされたんです」。さらには、学校が冬休みの時期に手芸用品店「ウルトラモッド」へ材料を買いに行ったところで、ここのスタッフのエリさんという日本人と知り合う。彼女の地元が熱海だということが分かって一気に距離が近づき、アペロの約束を交わす。ルサージュでのプログラムも残りわずかというタイミングで、魔法のように多くの出会いがあって、小西川さんは学校を修了した後もパリに住み続ける、ということを意識するようになる。

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当時住んでいたアパルトマンにて、ルサージュの課題に向き合う。
ルサージュ時代に足を運んだディオールの大規模なエキシビジョンでは豪華な刺繍の数々に感動!

「チエコさんに、パリに残った方がいい、と言われて。本当はルサージュが修了したらすぐに帰国しようと思っていたのですが、ビザはまだ少し残っていたのでその期限までは残ることにしました。授業もなく、パリに来て初めて自由な時間ができたタイミングで、エリさんから“ウルトラモッドを辞めて日本に帰ろうと思っているんだけど、お店に迷惑がかからないように後任を紹介したくて、かおりさん、よかったらどうかな?“と言われたんです。そんなこと全く想像していなかったので、少し考えさせて欲しいと」。パリに残ることを強く勧めるチエコさんらの言葉に押されて、エリさんからの依頼を引き受けようとしたのだが、そこでビザの問題が立ちはだかった。ウルトラモッドに勤務する条件はビザを自分で取得することだったのだ。それならばとフリーランスのアーティストビザを取れるように周囲の友人たちも尽力してくれたが、ビザが切れ、帰国しなくてはならない日が来てしまった。その日は雨、不安な気持ちを抱えながら飛行機の窓から外を眺めていたら雨が止み、大きな虹がかかったのだという。「パリが、かおり、また戻ってきなよ、と言ってくれているような気がして、感動して泣いてしまいました」

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帰国の日、飛行機の窓から見た大きな虹。