COLUMN

Women in Paris Vol.2
Kaori Konishikawa(2/4)

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結婚して間もない頃。よく通っていた駒沢公園でのピクニックでのスナップ。

結婚相手となった仕事ができるビジネスマンの彼は、自身もバリバリ働く女性が好きな人だった。「お金の心配はしなくていいんだから、とにかく好きなことをやれって言ってくれる。いい人なんですよね、でも好きなことが分からないから困ってるんじゃん、と、心の中で思いながら、なかなか口には出せませんでした」。料理教室へ通い、友人を招いてホームパーティを催したりするのは楽しくて「わたし、こっちの人だったのかも」などと思ったりしながら、グラノーラにハマって専門店でアルバイトをしてみたり、派遣で小さなPR会社で働いたり。「グラノーラの時は彼に、自分のブランドを立ち上げたら、と言われたんですけど、それを本気で商売にしたいとは思えなくて。今思えば、すぐに飽きちゃうわたしに、彼はだんだん失望していっていたんだと思います」。

可愛がっていた会社の愛犬、タローとともに。

結婚から3年ほどが経った頃、フリーマガジンで知られるメディアの会社で働くことになった小西川さん。やはり仕事にやりがいは見出せなかったが、とてもいい同僚に恵まれ、毎日大笑いして楽しく過ごしていた。プライベートでは、マンションを買おうということで時間を見つけては内見を繰り返す日々。ある週末、ペットが飼えるいい物件を内見した小西川さんは興奮して帰宅し、すぐ契約しないと誰かに取られちゃうから、と焦って契約書を取り出し、彼に渡した。「ペンを持って書き出したんですけど、途中でピタッとその手が止まったんです。いきなり“すまん、離婚してくれ”って言われて、数秒ほど、何を言われているのか理解できませんでした。放心状態で、一回家を出て外の空気を吸って戻ってきたら、彼が謝ってきて静かに話し合いが始まりました」。これは今始まったことではなく、1年ほど前から気持ちの変化があって離婚を考えるようになった、と言われ、とにかく様子を見るために一度離れて生活しようということに。そうなれば、互いにこのままの状況を続けるよりも早く決着してしまった方がいいと、彼の方が弁護士の提示した条件をそのままのむ形で離婚が成立。別居してから3ヶ月後の6月24日のことだった。「区役所に離婚届を出した後、駅まで歩いていたらリサイクルショップがあって、そこで婚約指輪も結婚指輪も買い取ってもらいました。そういう負のものは一刻も早く手放したいと思って。そのお金で、デパートで、爆買いっていうほどではないけれど、お菓子やおいしいものをたくさん買って、その足で親友の家へ行って、ギャン泣きして慰めてもらいました」

離婚届を出した当日のスナップ。生まれたばかりの親友の赤ちゃんを抱っこ。

元夫から離婚を切り出されてからは、ひたすらに大きな不安を抱える日々。恐怖と孤独感に押しつぶされそうになり、眠れない夜が続いた。これからどうやって生きていこうか必死で考え、生まれて初めてと言ってもいいくらい、自分自身と向き合った、向き合わざるを得なかった。「高校時代にアメリカ留学を検討したことがあったのですが、急に怖くなって辞退。社会に出てからはニューヨークに憧れて仕事も見つけたのに、それも結局怖気付いてキャンセル。振り返ってみれば、離婚を経験するまでわたしはいつも大きなアクションを起こすことが怖くて、逃げ続けていたんだなと気づきました。行動力はあるので実行はするのですが、いざという局面になると怖くなって逃げていたんですよね」。カナダから帰国した時も挫折感でいっぱいだったが、そのおかげで英語が話せるようになったし、海外の文化を知っていることが現在のパリでの生活においても予測がつくという意味で役に立っている。意味がない、失敗だ、と思っていたことも、振り返ってみれば全て意味があったと、最近になってようやく思えるようになった、と小西川さんは話す。自分の人生はこれでいい、わたしは楽しんでいる、と思い込むように過ごしてきたけれど、本当の自分の気持ちに嘘をつき続けることはできなかった。「それは結婚している時に、元の夫にも伝わっていたような気がします」

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ウルトラモッドのサンプル用に作ったパンジーの刺繍のポーチ。

母親譲りで手先が器用な小西川さん、手芸は趣味として続けていた。離婚の1年ほど前からはオートクチュール刺繍を教える品川の教室に通い、夫にも「やっとハマれるものが見つかった」と話すほど夢中になっていたという。離婚が決まって、地元の沼津と東京で刺繍教室を開いたらどうにか食べていけるんじゃないかと両親に相談したところ「世の中はそんなに甘くない!」と大反対。「離婚することについても、最初に話した時は大パニックになりました。離婚なんて簡単に言うな、簡単にハンコを押すな、って。わたしが本当に無知だと思っていたんですよね。でもそこからわたしがきちんと調べて理論的に動いているのを見て、見直してくれたような感じはあったんですけれど、刺繍のことについては、趣味でやるのはいいけど仕事になるわけがない、と」。その時働いていた会社は派遣だし、正社員で雇ってもらえるほど会社には余裕がなさそう。転職活動をするにもこの歳で大したキャリアもないわたしがどうすれば……。暗い想像しかできず、さりとて実家にも戻りたくない。堂々巡りの日々の中、ある朝ふと、今の自分の状況を言い当てているとしか思えない占いをオンラインで見つけて、その占い師に見てもらうことに。「あなたは海外へ行くしかない。そういう星のもとに生まれているし、東京にこのままいても何もいいことはない。行かないとあなたの人生は始まらないわよ」

パリへ出発する直前、四つ葉のクローバーを5つも見つけた!

当時パリにあったオートクチュール刺繍の最高峰、ルサージュで学んでみたいという思いはありつつ、学費の高さに躊躇していた小西川さんだったが、占い師の言葉に背中を押されてパリ行きを決意。しかし両親にはなかなか言い出せなかった。この頃、パリへ行くと決める前に、離婚前に夫と二人で住んでいた家から引っ越しをするために仮契約していた新居のすぐそばで殺人事件が発生。パリ行きを決めたために仮契約をドタキャンした直後にそのニュースを耳にし、何か大きな力が働いているように感じた。結局、両親には、その新居を見にいくことを口実に上京してきたタイミングで告白。キッパリともう決めたことだと伝えたら「決めたのならばあなたの人生なんだし応援するけれども、何があってもあなた自身の責任だということを覚悟するように」と、最終的には賛成を勝ち得たのだった。

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留学前に開いてもらったお別れ会にて。