COLUMN

Women in Paris
Vol.2 Kaori Konishikawa(1/4)

41歳での離婚を機に、一気に人生が動き出し、パリへ活動の拠点を移すことになった小西川かおりさん。現在は手芸用品店「ウルトラモッド」に勤務しながら、気鋭の刺繍作家として活躍。7月にはCHICABAとのコラボレートトートバッグも発売される小西川さんのドラマティックな移住物語をお届けします。

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「ウルトラモッド」の同僚たちと。左から小西川さん、勤務歴およそ25年のムッシュ・ウルトラモッドことマーク、もう一人の日本人スタッフのミホさん。

静岡県沼津市出身の小西川さんは、写植デザイナーの父、サンリオに勤める手芸が得意な母との間に生まれた。「母はわたしが小さい頃、洋服を手作りしてくれて、そこには刺繍も施されていました。一番よく覚えているのは、保育園のお泊まり会のために作ってくれたパジャマ。スモーキーグレーの生地に12星座のモチーフが刺繍されている、それは豪華なもので。だけど子供の頃って他の子と同じがいいって思っちゃうじゃないですか。あんまり個性的だと恥ずかしいから、結局着なかったんです」。小西川さん自身も幼少期から手芸が好きで、母親は憧れの人だった。だから母親が勤めていたサンリオでいつか自分も働きたいという淡い夢を抱いていたが「怠惰な学生時代を過ごしていて、そんな人は会社に紹介できない(笑)って母に言われてしまって」敢えなく挫折。それならばと憧れのアメリカへの留学を志す。「母が洋楽をすごく聴く人でビートルズが大好き。その影響でわたしもジョン・レノンに一時期は本気で恋をしてました(笑)。実は彼らはアメリカのロックンロールやR&Bに大きな影響を受けていると知って、アメリカの50、60年代の音楽を聴くようになったんです。あと、父は映画が好きで、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ゴーストバスターズ』、『ネバーエンディング・ストーリー』など、一緒に観に連れていってくれた映画もアメリカへの憧れを膨らませる一因になっていました」。50、60年代の音楽や、ロネッツ、シュープリームスなどのガールズグループ、その時代のファッションやテイストが大好きで、アメリカンカルチャーに夢中だったけれど、ファッションのお手本はパリジェンヌだったという小西川さんのミューズは主にブリジット・バルドーとオードリー・ヘップバーン。「BBの他にジェーン・バーキンやロミー・シュナイダー、10代の頃はサガンの小説もよく読んでいて、あの気怠い雰囲気に酔いしれていました」。かくして、東京に分校があったテンプル大学へまずは入学し、途中でフィラデルフィアの本校へ転入するというプランを立てた小西川さんだったが、「勉強が好きじゃなくて」1年生の途中で突発的に学校を辞めてしまう。その後アルバイトをしていた本屋のおしゃれな先輩に「ワーキングホリデー」なるものの存在を教えてもらい、その制度を利用してカナダのバンクーバーへ旅立つ。

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お気に入りの本たち。左は「ガーリーで豪華な刺繍が施された彼女の作品にはかなり感化されています」というオランピア・ル・タン。 右隣はすでに絶版となっているルサージュのリボン刺繍の本。「リボンとビーズで花の刺繍と花言葉が載っていて、一つ一つがカードになっています!」。 下はアンディ・ウォーホルのイラスト本。これはシリーズ本で他のものも全て日本から持ってきた。
パリの友人のBDにプレゼントしたラッキーチャームがたくさん入ったエンブレムを刺繍したポーチ
ずっと大好きな刺繍。パリの友人にプレゼントしたポーチには、ラッキーチャームをたくさん施した。

20歳の小西川さんにとって初めての海外生活は、見るもの全てが新鮮で刺激に満ちていた。日本食レストランでアルバイトをしながら、そこで働いている同僚に英語を教えてもらい、大好きだったブラックミュージックを聴きまくった。「でも自分が何をやりたいか、見つけることはできなくて。何も掴めないまま、1年半で日本に戻りました」。地元の沼津に帰ってからは、アメカジの洋服屋「オクトパスアーミー」でのアルバイトのほか、「ミイラとかお墓、遺跡がなぜか好きで、遺跡発掘の仕事もしていました。学研の偉人漫画のシリーズの最後にお墓の写真が載っていたんですけど、そのお墓を掘ってみたいと思っていたヘンな子供でした(笑)。フリーメイソンとか都市伝説なんかも大好きです」。その頃お付き合いをしていた彼が古着屋を経営していて、買い付けの穴場は実はカナダだということで、1回目の渡航から3年ほどを経て次は彼と一緒にトロントへ渡る。「彼は買い付けという目的があるけれど、わたしは取り立てて何もない。現地の文化に触れられるのは面白かったし、カナディアンのお友達もできて音楽のイベントやフェス、クラブにも行ったりしましたけれど、特に何かを得られた訳でもなく1年半が過ぎていきました。その時、25歳だったんですが、ちょっとインテリアデザインに興味を持ったことがあって、でもこれから改めて学ぶなんてもう遅いって思っちゃったんです。今思えば25歳なんて全然若いのに。こんな風にいつもどこか暗い、これからどうやって生きていこうかっていうアンニュイな気持ちを抱えていましたね」。この滞在中、残り半年ほどビザが残っていた頃に友人を訪ねてロンドンへ行った帰り、トロントでの入国審査でまさかの拒否にあってしまい、日本への帰国を余儀なくされてしまう。「ショックで怖くて恥ずかしくて、10数年ほどは誰にも話せなかった出来事です。その頃は今と違って結構ファンキーな格好をしていて、彼もドレッドヘアだったし、そんなことも原因の一つかもしれないのですが、ものすごく意地悪な審査官に当たってしまって、別室に通されて目の前でビザの書類を剥がされて、とにかく2週間以内にカナダから出ろ、と言われたんです。アパートの荷物を人に売ったり、慌てて整理して、追い出されるように日本に戻りました」

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こちらは初めのパリ旅行の際のスナップ。まだパリに住むことなど想像もしていなかった頃。
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自分探しが続いた30代。「マクロビの料理教室、フラワーアレンジメント、吹きガラス、オーラソーマ……。他にもまだあったかもしれません(笑)」。初めて正社員として働いた会社で学会発表にも挑戦。

日本に帰ってからも、派遣で働きながら自分探しの旅が続いた。何かクリエイティブなことがしたいという思いはあるが、それが何なのか見つけられない。「その頃、専門学校の広報の仕事をしたことがあって、広報だからいろんな方にお会いしたり話を聞いたりするのですが、みんな自分らしく生きていて素晴らしいなあ、わたしは何をしたいんだろうな、と思いながら過ごしていました」。31歳の時に初めてイベント会社で正社員として採用される。スポーツ関係のレストランやイベント事業なども幅広く手がける会社で、小西川さんは新規事業部に配属された。「今思えばすごく素敵な事業なんですけど、地方自治体からのオファーを受けて町おこしを引き受ける部署で、健康をコンセプトに色んなイベントを企画していたのですが、当時のわたしにはものすごく地味に思えました。関わっていくうちにいろんな企業や現地の方との交流があって、何より人から感謝されることにやりがいを見出して好きになったのですが」。結局、3年半ほどでビジネスとして成立しないという会社の判断により撤退。本社に戻ってイベント事業の広報などを担当することになるが、あまり興味が持てない。「社長が体育会系だったから社員総出でいろんなことをやらされるんです。大画面のパブリックビューイングで野球の試合を見るイベントではビールガールをやったり。イベント会社だから朝から夜まで拘束されることもたびたびあって、体力的にもちょっと無理だなと、だんだん辞めることを考え出しました」。この時、36歳だった小西川さんは、後に夫となる人と出会う。これまで好きになった人とはちょっと違うタイプの、仕事ができるバリバリのビジネスマンだった。「アメフトをやっていて野球も好きな人だったから、わたしが野球関係の仕事に関わっていることがうれしかったんだと思うし、すごく頑張っている子、っていう風に見えて好きになってくれたんだと思います。わたし自身はとにかく早く会社を辞めたい、結婚に持って行けたらいいなと思っていました」。付き合い始めてしばらくしてから、結果として結婚することとなり、晴れて会社を退職することができたのだった。

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刺繍作家としてブレイクするきっかけとなったマスク。
差し替え;ルサージュ後まず作った自分のロゴの刺繍
ルサージュ修了後にまず作った自身のロゴの刺繍。エンブレムやお花など、好きなテイストを詰め込んだ。