COLUMN

Women in Paris
vol.1 Masae Takanaka(1/4)

3月にオープンしたCHICABA concept storeのために、ヴィンテージの陶器の買い付けのほか、溢れ出るアイデアを惜しみなく提供してくれた高中正江さん。現在はパリをベースに雑誌やアパレルブランドのカタログなど多方面で活躍する高中さんがパリへ渡った経緯、彼女にとってのパリ、クリエイティビティの源まで、そのドラマティックな軌跡を4回に分けてお届けします。

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近影。撮影中にヘアメイクさんにこっそり整えてもらってパチリ。

茨城県出身の高中さんは大学の国文学科を卒業した後、アパレル商社に就職したものの、体調を崩して退職。その時に取引先だったカットソーメーカーの社長の好意で、その会社でアルバイトをすることになったのが1990年代前半のことだ。「いわゆるマンションメーカーで、カットソーの企画と同時に、ヨーロッパで買い付けてきた洋服の販売もしていたんです。恵比寿の路地裏にあったから、芸能関係者なんかのおしゃれで個性的なお客さんが多くて。バックヤードで事務仕事、お客さんがやってきたら店舗で接客をしていました。買い付けは社長の仕事だったのですが、私も連れて行ってくれたんですよね。買い付けに行った時のエピソードなんかを話したらバンバン買ってくれるのが楽しくて、わー、こういう仕事って面白いなと思ったんですよね」。当時はセレクトショップ全盛の時代で、そのバイヤーはファッション業界で働きたい人たちの憧れの職業。バイヤーをやってみたい! と意気込んで再び就職活動をするも、自分で買い付けた服を販売もしたいと考えていた高中さんにとって、理想の形で働けそうな場所はなかなか見つからなかった。さらに、ファッションを専門的に学んでいないことを、暗に揶揄されることが悔しくて、バンタンのマーチャンダイザーコースを夜間で取ることに。

憧れのパリは想像通り、いや想像以上に美しかった!今でもその気持ちは変わらな い。

「この頃、私、zuccaというブランドが大好きで、取り憑かれたように全身zuccaの服を着ていたんです。何かの雑誌でデザイナーの小野塚さんがパリコレに参加するまでの半年間を追った、すごくいい記事を読んでめちゃくちゃ感銘を受けて。見出しに“パリコレは一発逆転ホームランの可能性がある場所”みたいなことが書いてあって、だからzuccaは東京じゃなくてパリでショーをやるんだ、と腑に落ちたんですよね。と同時に、その現場を見たい! と思っちゃって、呼ばれてもないのにショーを見るためにパリに行ったんです」。高中さんが人生において初めて電撃的に(一方的に)恋焦がれた人物がzuccaの小野塚さんであり、ショーを見るため(繰り返すが、呼ばれてはいない)にパリへ行ったことは最初のエポックメイキング的な出来事である。「当時はインターネットもなかったので、zuccaのオフィスに電話して、パリコレのショーを見たいので会場を教えてください、って、今思えばただのストーカー(笑)。もちろん簡単には教えてもらえなかったんですけど、何度も電話をしたら最後には渋々、住所と時間を教えてくれたんです。ただしあなた、来たところで中には入れませんよ、って言われましたけどね」。ショー当日、小野塚さんへ渡すための小さくて可愛いブーケを用意し、会場の前で待ち続けた。チケットはないからもちろん中には入れない。そんな中、青山店の店長が偶然にも会場の前で待つ高中さんを発見し「高中さん、本当に来てくれてる! 私、急にパリに来ることが決まって、そのことを高中さんに伝えたくてご実家に電話したらもうパリへ向かったと言われて」。この店長が掛け合ってくれたことにより、もちろんスタンディングではあったが、人生初、パリコレのショーを見ることができたのだ! 「もう大感動ですよ。恋焦がれていた小野塚さんのこともチラッとだけど見ることができましたし」。就職活動が上手くいかず、夜間学校に通うことにしたのは、このショーを見て帰国した後のことである。

スナップの仕事にて、尊敬するアンナ・ピアッジさまをエッフェル塔をバックに。
ビルおじいちゃんに、朝褒めてもらうのを励みにしていたおしゃれスナップ時
代。
ビルおじいちゃんに、朝褒めてもらうのを励みにしていたおしゃれスナップ時代。

パリでのエキサイティングな経験は、高中さんの内なるマグマとなって燃えたぎり続けていた。それゆえ、学校の卒業の課題を早く提出して、またしてもパリコレに行くことにする(というか、行かずにいられなかった)。やはりもちろんチケットは一枚も持っていないし、学校の先生にも「パリコレって、どうやって見るか知ってるの?」と言われながら。「この時は2週間くらいアパートを借りて滞在することにしたんです。コレクションが始まる前日、そのアパートの隣が賑わっていて、すごくおしゃれな人たちが出入りしてるから絶対なんかパリコレと関係ある、と思って、そこにいた日本人のジャーナリストっぽい人に尋ねたら、そういうイベントだと教えてくれました。思い切って“私、コレクションを見たいんですけど、スケジュール教えてもらえませんか”と聞いたら、モデム(スケジュールや展示会の情報が網羅された冊子)をポン、と渡されて」。すぐさまアパートに帰って、見たいショーや展示会全てにアンダーラインをひき、地図を見て場所を調べて(チケットもないのに)プランニング。翌日からはとにかくしらみ潰しに全部会場を回って、入口で待っていたら時々ラッキーなことに入れてもらえることもあるのに味をしめ、結果なんと48! のショーを見たのだという。新人はお金がないなりに工夫を凝らして素晴らしいショーをやっていた時代、パリコレに参加し始めたばかりのジョン・ガリアーノが郊外のサーカス小屋で開催した伝説のショー(後日、高中さんが取材したスタイリストのカトリーヌ・ババから、まだ何者でもなかった彼女もチケットを持たずこのショー会場へ行き、警備員をだまくらかして中へ入ったというエピソードを聞いて感激したのだとか)にも潜り込んで見ることができ「それはそれはもう、またしても大感動ですよ。私は当時ビッグミニで写真を撮っていて、その写真と、イラストと、文章を書いたパリコレ日記のようなブックを作って、日本に帰ったらそれを持ってセレクトショップの面接に行こう、と思い立ったんです」。就職できたら自ら買い付けたものを販売し、ゆくゆくは販売員の教育もしたい、セレクトショップの世界に革命を起こしてやる!と意気揚々、帰国する。

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写真もイラストも上手い!高中さんのコレクションブックの、これはほんの一部。

帰国後、まずはそのブックを何人かの学校の先生に見せたところ「バイヤーじゃなくて雑誌は? 出版社に持って行ってみたらどう? もしかするとそっちで何か道が開けるかもしれないよ」と言われた高中さん。さっそくコネはないけれどありあまるバイタリティで、好きな雑誌を作っている会社に電話をかけ、アポイントを取り付けた。だがしかし、どこへ行っても反応は芳しくない。「写真を撮りたいのか、絵を描きたいのか、それともジャーナリストになりたいのか。あなたは何をしたいの? って聞かれるけど、自分でも分からない。こういうことを全部やりたいと言うとポカン、とされてしまって」。そんな中、とある編集部で「あなた、次のコレクションには行くの?」と聞かれて、先のこと、次のコレクションのことなど何も考えていなかったが、とにかく次もいかないとダメなんだ、と思い込んだ高中さんはその後、何度か同じようにパリへ渡り、コレクションを見ることになる。時代は1990年代も後半に差し掛かり、ファッションの世界ではグランジが終焉を迎え、ミニマリズム全盛へと潮目が変わる頃だった。