COLUMN

Women in Paris Vol.14
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コロナ禍の真っ最中、2020年、パートナーと共にパリへの移住を果たした空間デザイナーのakariさん。そのタイミングでの移住となった、ドラマティックな経緯とは。

 

兵庫県神戸市に生まれ、建設業を営む父と専業主婦の母のもと、兄と弟に挟まれた長女として育つ。インターナショナルスクールが小学校の近くにあったことと、小学校6年生の時に映画『トップガン』を見たことをきっかけに、海外への強い憧れを抱くように。「映画を見た翌日、友達に映画のあらすじを喋り続けていた、そのシチュエーションもよく覚えています。そこから『ロードショー』や『スクリーン』といった雑誌を食い入るように見るようになって、当時の『ソニープラザ』や海外の雑貨を売っているスーパーへ足繁く通って。いわゆる普通の家庭で育ったのに、なぜかものすごく海外への憧れを募らせるようになったんです」。その気持ちが昂じて、中学3年生の春休みに両親に頭を下げ、アメリカのカリフォルニア郊外、ベーカーズフィールドに初めてのホームステイを果たす。

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留学中、友人たちと訪れたスタンフォード大学にて

海外への憧れは「現地の人と英語でコミュニケーションを取りたい」という気持ちと共にあり、以来、英語はとにかく懸命に学び続けていたが、初めてのホームステイでは言われていることが分からないこともあってホームシックにもなった。それでも海外と繋がりたい思いは強く、大学3回生の時に、サンフランシスコ郊外のオ ークランドへ半年間留学。「欧米風の暮らし方、インテリア、パーティや人が集うシーンなど、憧れていたものを身近で見られる機会を得て、興味を持って観察していました。この時も最初はホームシックになりましたが、3ヶ月くらい経ったら楽しくなってきて。友達もできましたし、ちょっとした緊張感すら楽しかったし、そこにいる自分のことも好きでした」

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就職した学校法人にてニュージーランドのキャンパスにて同僚たちと

帰国後はすぐに就職活動をしなくてはならない、というタイミング。「まだ自分自身が形成されていない状態で、何をしたいか分からないし、自分が置かれている状態を受け入れる、見ている、という感じでした。海外への思いを仕事に結びつけたかったけれど、家族には海外に行くなんて、という雰囲気もあって、結局、海外にも大学を持つ学校法人に就職したんです」。就職した当時、その学校法人はオーストラリアやニュージーランドに大学を持っていて、学生や保護者のためのツアーに帯同するなど、英語、そして海外の文化に触れる機会はあったが、基本的には神戸の旧居留地にあるオフィスに通勤する毎日だった。4年ほど勤めた後、退社する。

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食空間を彩るアイテムにただただ夢中だった

「ちょうどその頃に出版されていた『マーサ・スチュワート・リビング』という雑誌に夢中になって。これよ!こういう暮らしの提案がやりたかった! とは思ったんですが、その時はそれを仕事にするすべが分からなかったんですよね」。退職した後は、自分が本当に好きだと思えることをやりたい、と、さまざまな仕事にトライするも、なかなかしっくりこず、長続きしない日々。そんな折、以前勤めていた学校法人から「すごく会社のことを分かってくれているから、人事採用の仕事をやってもらえないか」と誘いを受ける。「人から求められているならいいかな」と引き受けたが、「体調を崩し、やっぱり自分が好きなことをして生きなきゃいけない、と痛感したのがちょうど30歳の頃でした」