COLUMN

Women in Paris Vol.9
Hiroko Shiraishi(1/3)

カラフルで美しいビーガン食のケータリングを3年ほど前から本格的にスタートさせた白石浩子さん。東京でファッションブランドの立ち上げに関わり、パリへ渡った後は子育てをしながらファッションの世界で働いていた白石さんが食の仕事にたどり着くまで、そしてこれからのこともお聞きしました。

新潟県出身の白石さんは、小さな頃から洋服にとても興味があって、自分が着るものに関してこだわりのある子どもだった。「特に大きな理由は思い当たらないのですが、母の影響はあるかもしれません。母の実家はメリヤス業を営んでいて、洋服やバッグ、お弁当箱入れみたいなものなど、いろんなものを作ってくれる人でしたから」。高校生の時分には『cutie』、『olive』などの雑誌から情報を得て、当時新潟にあったラフォーレ原宿・新潟へお小遣いを握りしめてショッピングへ出掛けていた。二つ下の妹と、10歳離れた弟との3人兄弟で、妹は現在帽子のデザイナーとして東京で活躍しているという。「弟は歳が離れているので、私がオムツを変えたこともありますし、本当に可愛くて喧嘩なんてしたことがなかったです。今、弟は新潟で福祉関係の仕事をしていて、結婚して子どもも一人います」

現在営むケータリングの仕事は全て自宅のキッチンで行っている。

高校を卒業後、地元の新潟でビジネスの専門学校へ差し当たって進むものの、やはりファッションの仕事がしたくて上京。古着店でのアルバイトを経てスタイリストのアシスタントになるが「誰かと一緒に世界観を作る仕事は、自分にはなんか違うかな、という思いがあって。そのタイミングで洋服ブランドを立ち上げようとしている知人から一緒にやらないかと誘われて、手伝うことになりました」。立ち上げ当初のスタッフは5人。少人数のため、なんでもやらねばならず、忙しかったけれど、全員20代で歳も近く、毎晩一緒に飲み歩いて、とても楽しい日々だったと振り返る。「10年くらい、その会社で働いたのですが、私、新潟の田舎で育っているので、人も情報も多い東京での生活に疲れてしまって。プレス担当だったので、毎日何十人もの人に会いますし、その反動なのか、知っている人が誰もいない国に行きたいな、と思うようになったんです」。ファッションの街でもあり、少し憧れも抱いていたフランスに住んでみよう、と決めたのは30歳を過ぎた頃のことだった。