COLUMN

Women in Paris Vol.8
Sawako Ishitani(1/4)

2010年にアクセサリーブランド「JACCO」を立ち上げた石谷沢子さん。高校卒業後、パリに渡ってから現在に至るまで、その激動の、そして華麗なるサクセスストーリーとは。

静岡県の自然豊かな環境の中でのびのび育ったという石谷さん。絵を描くのが好きな子どもで、小学校高学年の頃には近隣の町にある高校の美術科へ絶対に進学する、と決めていたという。「と同時に、漫画家になりたいとも思っていて、漫画を描くのが上手な学校のお友達と漫画の交換日記をしていました」。ストーリーを組み立て、登場人物やコマ割りを決めて、漫画用の原稿用紙に専用のペンやスクリーントーンを使って描いていたというから、小学生にして相当本格的な作品を作っていたよう。「ただ、私、絵を描くのは好きなんですけど、物語が作れなくて(笑)。割と早い時期に、漫画家は自分には無理なんじゃないかと気づきました。美術学校に受からなかったら、単身で東京へ出て漫画家のアシスタントになる、なんて馬鹿なことを言うほど熱中していたんですけどね」。中学校に進学してからは美術部に在籍し、時間さえあれば絵を描いているという生活で、美術科を受験するために特別な勉強をすることもなく、目指していた常葉大学付属菊川高等学校の美術・デザイン科にすんなり合格した。

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3歳の頃のスナップ。大の宝塚ファンで洋裁の上手だった母親と。
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小学生の頃に描いていた漫画。「あっさり筆を置いてしまいました」というが、本格的な腕前!

1年次には基礎的なことをまんべんなく学び、2年次に上がる時点で日本画、油絵、彫刻、デザインから「専攻」を選ぶというシステムで、油絵にかなりのめり込んだものの、平面では飽き足らずに彫刻を選択。美術・デザイン科と普通科が併設されていて、普通科の校舎と美術科のクラスが隣り合わせているという環境だった。「黙々と勉強している人たちの横で、私たちはジャージを着て、ゴーグルに鉢巻といういでたちで、ドラム缶に火を焚べながら木材をノミでガンガン切ったりしていて。変態って呼ばれてました(笑)」。とはいえ学校には、全国規模のアートコンペティションに応募することを積極的に後押しする雰囲気があり、パルプで有名な島田市が町おこしの一環で行なっている「紙わざ大賞」に出品した石谷さんは全国で3位に選ばれる。そこでは、福田繁雄や中原浩大など著名なアーティストにワークショップなどで会う機会も得られたという。また、美術・デザイン科においては、オランダとフランスでの美術館を巡る卒業旅行もあった。それに参加した際、初の海外で目にした街の雰囲気や、「人々が自立している」という感じにカルチャーショックを受けた石谷さんは「日本に帰りたくなくて、ここに置いていってくれないかなって(笑)、帰国便の飛行機で私一人だけ泣いてたことを今でも鮮明に覚えています」と話す。

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島田市主催の紙わざ大賞に出品した作品「灰離」。箱の中にぎっしり灰を詰めた。
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卒業旅行中に描いたスケッチ。「どこを描いたものか覚えていないのですが、とにかくスペルが思いっきり間違ってます(笑)」

卒業旅行での経験で海外への思いを強くした石谷さんだが、それと同時に一人の人との出会いにも背中を押された。「高校を卒業したあと海外へ行くか、日本の美大に進学するか悩んでいた時期があって。その頃、地元に住んでいたjun suzukiさんというアーティストの方と出会ったんです。地元でアーティストのコミュニティを作って、パフォーマンスや演劇などのイベントをやったり、デッサンを教えたりしていたのですが、ドイツで20年間暮らして、ヨーゼフ・ボイスの弟子をやっていたそうで。彼に“君はウィーンに行くといい”と言われたんですよね」。本当は海外に行くならパリがいいな、と思っていた石谷さんだが、彼からは大きな影響を受けていたので、とりあえずドイツ語を学ぶことにする。日本の美大受験のある種特殊な世界は、自分には向いていないのではないかと思ったこともあって、海外へ行く道を選んだのだった。

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高校時代、多大なる影響を与えてくれたjun suzukiさんと仲間たちと。