COLUMN

Women in Paris Vol.5
Ayumi Togashi(1/3)

クロエやキャシャレル、ソニア・リキエルなど、大手ファッションメゾンのほか、パリの百貨店プランタンとの仕事でも知られるイラストレーターの冨樫鮎美さん。子どもの頃からファッションに興味があったという冨樫さんが、パリでイラストを生業とするようになった経緯やパリでの暮らしについてお聞きしました。

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パリの自宅の中庭。「写真家の友人に撮ってもらった写真です。この方の手にかかれば我が家も素敵に写ります(笑)」

南アルプスなどの山々に囲まれた、山梨県甲府市に生まれた冨樫鮎美さん。高校までをこの地で過ごし、卒業後にイギリス・ブライトンへ渡った。「語学を習得したかったのと、自分は何がしたいのかはっきりしなくて、それを探すために、という感じですかね。だけど取り立てて何をするわけでもなく、1年で帰国しました」。洋服が好きで、その道へ進みたい、ということだけは漠然と見えていたため、イギリスからの帰国後はまず学費を貯めるためにアルバイト。その後、東京、ロンドン、ニューヨークなどで服飾を学べる学校をリサーチしたところ「パリのステュディオ・ベルソーが比較的学費が安かったので(笑)」、知人に助けてもらいながら、フランス語で書いたモチベーションレターを送って無事入学が決まり、パリへ渡ることになったのが2003年のことだ。

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クロエでの研修時代。ショーの前日、時間がないので徹夜でデザイナーから秘書まで駆り出されて直に刺繍を施す。もうこれはプレタポルテじゃない!

2年間、ベルソーで学んだのち、いくつかのメゾンで研修生として実際の現場を経験。「ベルソーではとにかくたくさん絵を描いて、改めて、あー、私、絵が好きなんだなと実感しました。実は幼い頃から女性の絵を描くのが好きだったんですよね」。数多くのデザイナーを輩出しているベルソーはさまざまなメゾンとのコネクションを持っていて、冨樫さんはキャシャレル、クロエ、ニナリッチなどのほか、3ヶ月から6ヶ月という短いスパンで、小規模なプレスルームでも研修した。「スタージュ(研修)生というのは、基本的には細かな雑用からなんでもやるのですが、いずれのメゾンでも私が一番評価してもらったのは“絵”でした」と話す冨樫さん。キャシャレルでは描いた絵がプリント柄として採用され、クロエではイラストレーターへの道へと導かれるこんな出来事も。「休憩中に描いた絵を、こっそりと、でも誰かが見てくれるようにと思って置いておいたら、“これ、誰が描いたの?”と見つけてくれたのが、その時、メゾンの刺繍部門を任されていたイギリス人のサラという人でした。“私、あなたの絵が好きよ”と言ってくれて、彼女の元で研修することになったのですが、私に絵を描くチャンスが多くくるようにサラがプッシュしてくれたこともあって、プリント部門の仕事にも関われるようになりました」

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今から10年ほど前、ボンポワンのショーにスタイリストとして参加。「子供だからこその魔法感がとても素敵でした」

女性の絵を描くのが好きな理由は特に思い当たらないけれど、女性特有のフォルムが素敵だなという思いから描いていた絵を、思春期の頃にパタリと書かなくなったという。「はっきり覚えていないのですが、学校で男の子にからかわれたのかもしれません。他人の目が変に気になったり、自分に自信を持てなかったり、その年代特有の複雑な感情からなのか、そういう絵を描いてちゃいけないんじゃないかと思い至ったんですよね」。実は冨樫さん、憧れていた洋服の道への第一歩である学生時代に「あれ?洋服をデザインするって、なんか違うなあと。作るのも苦手だということが分かってしまって」と言う。その後、スタージュ生としてファッションの世界にどっぷりと浸かっている中で、閉じ込めていた絵を描くことへの想いや才能が開花したのだから、人生は分からない。