2022.10.21 Women in Paris Vol.4Asami Haraguchi(2/3) ワーキングホリデーで1年のつもりでパリへ渡った原口さんだったが、その期限が終わる頃に彼がパリに残りたい、と言い出したため、学生ビザに切り替えて滞在を延ばすことになった。「私自身はもともと外国自体に興味がなくて、日本から絶対出ないと思っていたほどでした。だけどまた日本に戻って就職口を探すのも大変だし、という、少し打算も働いて、パリへ留まることにしたんです。こちらで結婚したのでそのタイミングで家族ビザに切り替えて、移り住んでからもう15年になります」 アクセサリー作りを始めて最初に作ったピアス。 こちらも初めて作ったレースのヘッドピース。 フランス語は全く話せない状態で移住してから15年。「語学が向いていないのか、とにかく一向に話せるようにならなくて。話せなくても暮らせます、っていう本をいつか書いてやろうと思うくらい(笑)」と、今では笑って話せるようになったものの、渡仏して数年はフランス語そのものが怖くて、ほぼ家から出なかったという。住み始めて1年目にパリ市役所が運営する夜間の語学学校でクラスを取っていたが、無断で3回休んだら除籍されてしまうということもあり、途中で行かなくなってしまった。初級者向けのクラスのはずなのに、周囲の人たちが流暢に話していることもショックだった。「なぜこんなにみんな話せるのかな、と落ち込みました。だけど今思えば、文法は無茶苦茶でもとにかく話していたんだと思う。私はメンタリティがザ・日本人だからそれができなくて辛かったんですよね。今でもほとんど話せないんですよ。だから、アクセサリービジネスも対象はほぼ日本です。もちろん英語もダメだし、語学が最大のコンプレックスですね」。とはいえ、ここで暮らすことに決めたからには、働かなくてはならない。腹を括ってオートアントルプルヌールという、フランスで比較的近年施行された個人事業主の資格を取り、アクセサリー作りを始めた。 自宅アパートの制作コーナー。 ある日、久しぶりにばったり会った友人に「趣味でアクセサリーを作っている」と話したら、アルバイトをしないかと誘われた。そこは「セルヴァンヌ・ガクソット」という、人形をかたどったアクセサリーで知られるブランドで、従業員はフランス人と日本人が二人ずつ。久しぶりに決まった時間に出勤して、みんなでランチのお弁当を食べて17時に上がる、そんな毎日が始まった。それまでは和食屋さんでのアルバイトの合間にアクセサリーを作るという、不規則な生活だったので、ルーティンな生活は気持ちがよかったという。「仕事には丁寧さを求められましたが、フランスの会社なのできっちり休憩もとるし、もちろん残業もなし。フリーで雇ってもらっていたので、翌週の予定を聞かれて出社日を決める、という感じの働き方でした」 お皿にディスプレイ? 無造作だけど可愛らしい。 そこからさらに縁は広がり、日本人デザイナーの「Junco Paris」のところでも同時に働くことに。「Juncoさんのところへ行くことになったのは、友人が私のアクセサリーを見て、これが作れるんだったらできると思うよ、と誘ってくれて、面接に行きました」。セルバンヌ・ガクソットでの作業は比較的シンプルだが、ここでは何を求められるか分からない。趣味でアクセサリーを作っているレベルでできるんだろうか、と不安を抱えながら始めてみたが、プロフェッショナルがどんな工程を経てアクセサリーを作っているのかが理解でき、自身のものづくりのためにもとても勉強になったという。「目の前でJuncoさんがデザインしているところを見られるわけではなかったので、クリエイティビティというよりは実作業的な部分ですね。この形になるまでこういう流れで出来上がっていくんだ、というのがよく分かるようになりました」