日本に帰ってからは、一旦沼津の実家に戻り、「ビザが取れたらすぐにパリに戻れるんだから」と自分に言い聞かせて奔走する日々。プロのスキルがない分をカバーできるよう、たくさんの資料を用意してフランス大使館に提出しに行ったら「ラッキーなことに、大使館で対応してくれた女性が刺繍がすごく好きな方で、味方になってくれたんですよね。この資料だけだと落とされる可能性が高いからレターをつけましょうって、アドバイスしてもらいながらその場で英語のレターを書いたんです」。早ければ2、3週間で連絡が来る、と言われていたが、待てど暮らせどなかなか音信がない。「それに、フランスでお金をたくさん使ったから、働かなくちゃまずいと思って、友人の紹介で三島にあるフレンチレストラン「La table de Kudo」でアルバイトをすることにしたんです。ここのシェフとマダムがすごくセンスがよくて、フランスのことを教えてくれるいい仲間がまた見つかったんですよね」。大使館に資料を提出してから1ヶ月ほど、クリスマス直前のことだった。結局、却下されたのでパスポートを取りに来てください、というメールが届いてしまう。「ここまでして落ちたんだったらもう仕方ないや、日本で頑張りなさいってことだな、って開き直っていたら、その1週間後くらいにエリさんから“ウルトラモッドが就労ビザを取ってくれることになったよ!”って。なんでも、エリさんが帰国するにあたってオーナー夫妻と食事をした際に、わたしの話をしてくれたそうなんです。そしたらオーナーが、そんなに頑張っている子がいるなら就労ビザを出してあげなきゃ、って言ってくれたらしくて」。こうしてついに、翌年の7月、パリへ移住することに!