COLUMN

[ NEW ] Women in Paris Vol.15
Hitomi Takeuchi(2/3)

20代半ばごろから、フランスが好きで、毎年旅行をしていたという竹内さん。地方にも足を運び、パリでは美術館に足繁く通っていた。東日本大震災、そして親友の急死を機に「短い人生、自分のやりたいことをやろう」と思い、以前から憧れていたパリへの移住を果たす。短大でフランス語を専攻していたこともあり、簡単な日常会話くらいはこなせると思ったが「聞き取りがまずできないんですよね、それが大変でした。住み始めた頃は、お店なんかに行っても特に女性のフランス人の方が怖くて。フランス語で話しかけても、聞き取れないと冷たくあしらわれてしまったり」

 

カリグラフィーと運命の出会いをした、国立古文書館。

移住して3ヶ月ほどが経ったある日のこと、国立古文書館で運命的な出会いを果たす。カリグラフィに出会ったのである。「これ、私がやりたいことだ! 習いたい、学べるところを見つけなきゃ、と思ったんです。そうしたら次の日、オデオンの辺りを歩いていたら偶然、カリグラフィのお店を見つけて、これは運命だ、と。お店に入ってスタッフの方にカリグラフィの学校知りませんか?って聞いたんですが、その人が今の主人です」。ただ、この時はカリグラフィのアソシエイションを教えてもらっただけで、1年ほど後にこの店に手帳を買いに行った時に再会することとなる。「彼はイタリアの美術学校を卒業しているということもあって、レオナルド・ダヴィンチの話で盛り上がって。その後は、友人の個展があるから一緒に行こうと誘われたりして、徐々に距離が縮まっていきました」

「フォーシーズンズ ジョルジュ サンク」の宝石店のウィンドー。商品名は竹内さんのカリグラフィー。

出会って1~2年ほどで結婚。竹内さんはカリグラフィの学校に通いながら、夫の友人で、世界的にも知られたテキスタイルアーティストのシェイラ・ヒックスのアシスタントもやることになる。「アーティストの指示に基づいて、アシスタントがそれを形にするんです。アシスタントは常時二人、時々手伝いに来る人も他に何人かいるという感じで、その時は人手が足りないということで、2年間ほど勤めました」。一方、夫はオデオンの店を辞めて、かねてから友人だった「メロディ グラフィック」のオーナーであるエリックさんから店を譲り受けることになる。「引退する時にはお店を譲るよ、と以前からおっしゃっていて、今からちょうど10年ほど前に買い取ったんです。私はカリグラファーとして本格的にやっていきたいと思い始めていたところだったので、シェイラさんのアシスタントはこの頃辞めさせてもらいました」

オテル リッツでの仕事風景。7年ほど前のスナップ。

以降は、カリグラファーとして結婚式や、ファッションメゾンの招待状の宛名書き、映画のプロップ、ロゴ作成など、依頼は引けを切らず、とにかく忙しく、休みなく働いている。また、前のオーナーの時はやっていなかった、カリグラフィのレッスンもお店で始めることに。「最初は教えられるほどのレベルに到達していないんじゃないかと思って、自信がなかったんです。だけど教えてください、とおっしゃるお客さまがたくさんいらっしゃって、夫が“レッスンできますよ”なんて軽く言ってしまったんですよね。それでも実際お教えしてみたら、みなさん想像以上に喜んでくださるし、生徒さんからいろんな質問が来るので、それに答えられるように私も勉強して。得られるものはすごくあって、それはやってみて本当によかったと思うことですね」