COLUMN

Women in Paris Vol.14
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テーブル、空間、そしてパーティーのシーンを演出する仕事をするようになったルーツを辿ると、小学生の頃の記憶にあるという。「学校から帰ったらすごくいい匂いがして、母がビーフシチューを作っていたんです。当時は夕食にパンが食卓にのぼるというのは特別なことだったのですが、その日はチーズが乗ったフランスパンも一緒に出てきて、なんなの、今日は? と聞いたら、母が、自分の誕生日だと言うんです。パーティーというほど大げさなものではないにせよ、大人になっても自分を祝うってスペシャルで大切なことだなって、すごく心に残った。人を一瞬でハッピーにさせるには、とか、記憶に残る瞬間を残したい、というようなことを考えるきっかけになった出来事です」。家庭でのそんなシチュエーションを出発点に、それを自身の仕事にするという夢を叶え、働くことは楽しくて仕方がなかった。「眠る時間を削って、ずっと手作業でデコレーションアイテムを制作していました。自分がここまでできるってこと、こんなにも作ることが好きだってことにも気づきました」

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ノルウェーからゲストを迎えるパーティー空間に「飾らないで飾って」という依頼を受け、悩んだ結果、食器類を使わずに自分らしいお花見のパーティーテーブルでお迎えしようと決めた

「ある時、パーティーコーディネートの依頼で、“飾らないで飾ってほしい”というオーダーを受け、初めて眠れないほど悩みました」。食器や什器、デコレーショングッズ、年間行事のすべてがすぐにできるほど溢れかえったモノに改めて対峙することになり、デコレーションすることそのものにも少し疑問を感じるようにもなる。「例えばお料理なら美味しいパンとワイン、オリーブオイルやバターがあれば、というように、デコレーションでもすごく素敵なマンゴーのウッドボードとリネンのナプキンと、小さいお花にキャンドルがあれば十分、という思考に変わってきて。もちろんビジネスとしてデコレーションって必要な部分なのですが、私自身、食器を重ねることが必ずしもよいというわけではないと思うようになってしまったんです」。次第に依頼される仕事の内容も、インスタグラムの流行により、一瞬の「見栄え」を目的とした依頼が増えていき、さらにはその後コロナ禍に見舞われ、パーティそのものがなくなってしまう。

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紙を使い進化していったテーブル空間演出。レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」あべのハルカス イタリア展にて

「今の夫とは、とあるデザインのイベントで出会いました。彼はもともと建築業界にいたのですが、アーティストとして独立しようとしていた時期でした。お付き合いが始まってからは、互いにやるべきことに必死に取り組んでいましたね」。そんなある時、京都のフォーシーズンズ・ホテルで開催されたクリスチャン・ディオールのパーティーに出席。彼はその日、自分でペイントしたジャケットを着ていました。そうしたら、ディオール・オムの本国の社長が、これは君がデザインしたのか? と聞いてきました。彼は、僕は背中に絵を描いただけ、と答えると、その社長はすぐにスタッフに写真を撮らせて、誰かにその写真を送りました。誰に送ったのか? と聞くと、クリス・ヴァン・アッシュ(当時のディオールのチーフデザイナー)だと。そしてその場でコラボレーションしようと言われました。社交辞令とわかっていたのでその件は何も期待していませんでしたが、彼もアーティストとして個展を開くタイミングだったので、初個展をせっかくだからパリで開こうと決めました。個展の案内をディオールの社長に送ったところ、彼はあの後、フェンディに移籍したとのことでローマ在住となり、しかもミラノファッションウィークの時期と重なり、君の展覧会には行けないとの返事。ローマに来たら食事でもしようと言われ、返事をくれただけでもよかったね、とパリに向かいました。すると個展の始まる前夜、フェンディから一通のメールが」。それはなんと、「ピーカブーバッグ」のデビュー10周年記念のプロジェクトのため、世界中から選ばれた5人のアーティストの一人として参加してほしい、というものだった。「フェンディの人気商品、ピーカブーバッグ発売10周年を記念して、世界で5ピースだけ特別なピーカブーを作るので、そのうちの一つを彼にリメイクしてほしいというものでした。彼を含む世界から選ばれた5人のアーティストの世界でたった一つのピーカブーが、2018年デザインマイアミの一環として、マイアミで発表されました」

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日本のアトリエ。ここから世界を目指そうと誓った