COLUMN

Women in Paris Vol.14
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「退職後、小学校の頃からの幼なじみのお母さんが、食空間プロデューサーの仕事をしていて。日本における先駆けのような存在なのですが、その幼なじみに “先生のところで、助手でもなんでも、どんな仕事もやりますから働かせてほしい” とお願いをしたら、アルバイトで来てみる? と言ってもらって。楽しくて、ものすごく働いたからか、2週間目からはほぼ社員みたいな感じになったんですよ」。これまで雑誌や映像の中にある夢の世界だったものが、自身の現実に現れたような感覚。夢見ていたものが仕事として成立するんだと、初めて知った瞬間だった。テーブルコーディネーターの養成スクール、百貨店や企業のパーティーのデコレーション、コンサルティングなど、多くのプロジェクトを抱える先生とともに忙しく働くと同時に、テーブルコーディネートの基本を学ぶことも叶った。「例えば欧米式のテーブルコーディネートやキリスト教に基づくさまざまなイベントの意味、あるいは日本の季節折々のお祝い事についてなど、普通に生きていたらあんまり意識しない、文化的なことを学べたのはすごくためになったし、楽しかったですね」

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テーブルコーディネート、パーティー、イベントの準備で忙しかったアシスタント時代

そこから3年余り、夢中で走り続ける日々の中で「もっと自分らしい世界を提案したい。テーブルの上だけでなく、空間全体をコーディネートする仕事ができたら」という思いが芽生え始めて、35歳の時に独立を果たす。「神戸の企業と仕事がしたいなと思って、洋菓子やレストランで知られる、ある大手企業の社長に手紙を書いたんです。今ならそんなこと、大変だな、って思うけど、その頃はめちゃくちゃやる気に満ちていました(笑)」。その企業が新しい事業を始めようとしていたタイミングと重なったこともあって、ライフスタイルのイベントを共に手がけることになる。「レストランやカフェ、パティスリーなどの店舗もたくさん持っている上、エンターテイメント事業もやっている会社なので、コンサートと組み合わせたイベントをやったり、いろんなことに挑戦できました。新規オープンのレストランのコンセプトの提案や空間のプロデュースなど、だんだんその内容も広がってきて、自分のスタイルみたいなものが出来上がっていった感じがありました」。その仕事ぶりは徐々に知られることになり、やはり神戸をベースとする別の食の大手企業から大きな仕事の依頼がくる。「神戸で開催されるインテリアの国際イベントのフードをその企業さんが提供されるということで、そのコーナーのデコレーションの依頼でした。ずっと思い描いてきた空間を感慨深く見ていたところに社長さんがいらしてご挨拶したのですが、その時はさらっとしたリアクションで。そしたら2週間後くらいに連絡があって、“あなたにはすごく可能性を感じるので、ぜひ何か一緒にやりたい”と言ってくださって」。その後、この企業とは共にさまざまなプロジェクトを手掛け、そのほかにも企業との仕事にとどまらず、数々のイベントやパーティーシーンへと、活動の場を広げていった。

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ニュージーランド大使館でのパーティープロデュース
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さまざまなパーティープロデュースが楽しくてしょうがなかった頃
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2016年「紙の森 The Paper Forest」を発表。岐阜県美濃和紙の里会館にて

そんな中、既製品を使って作るテーブルコーディネートでは飽き足らなくなり、自分の個性をもっと出していきたいという思いが募るようになる。「ちょうどその頃に、岐阜の美濃和紙の里会館というところで紙を使った大きい作品を作らせてもらえる機会があって、ずっと実現したかった紙で森を作りました。私、段ボールの断面が好きで、段ボールでパーティーグッズを作ったり、紙で空間を作るということを始めたんですね。老舗の輸入車メーカー主催のクリスマスパーティーでは真っ白の段ボールで直径2メートルのリースを作って、そこに3000枚の紙の葉っぱを飾り付けました。紙ってペラペラだけど、ラグジュアリーな空間にそのテクスチャーがあることで見る人の心を動かす作用があると思ったんです」。段ボールのオブジェや小さな家具、オーナメントなどを販売する自身のブランド「by akari」を立ち上げた。「一瞬でも記憶に残る時間と空間をプロデュースすることに一生懸命でした」

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百貨店やイベントスペースで、ダンボールオブジェやペーパーデコレーションの空間演出に力を入れていた頃